N熊さん、早速の投稿ありがとうございます。
いつ読ませていただいても、臨場感にあふれて素晴らしいです。
雪が降って無音の世界ってありますよね。雪の降る音さえ聞こえそうなときは、確かに神聖さというか、
神聖さに秘めたなにかを感じる気がします。ハンターだけではないですが、そういう環境で自然と接する
者だけが感じられる感覚だと思います。
夫婦でスヤスヤ眠ってるところの狙撃というのは、ハンティングをされていない方には抵抗感が強く、
一般的には炎上する記載だと思います。
人間は道具の発達で優位になった思われがちな一方で、視力、聴力、臭覚に加え、気配を感じたり、
自然の危険を感じるという、本来自然で生き抜いていくための多くの能力を失ったと思います。
ハンティングを通して、必ず野生動物の方が私よりも先に察知するということをいやという程思い
知らされ、私のレベルでは実はほぼ感じることができていないということを私自身は理解しています。
雪の中に熊の足跡を見つけた時も、その足跡を踏んだことでしか分からない自分であることがわかります。
冬に冬眠していない熊が自分がだんだん近づくのを待ち構えているのか、はたまただんだん自分との
距離を詰めているのかもしれないと思うと、なかなか怖いものです。自分は狩る立場であるという
おごりの感覚はおおよそ消え、自分は狩られるという立場でもあるということを改めて感じさせられます。
動物だけではないですよね。いろんな自然条件であったり、天気であったり。自分が狩られるときは
問答無用に思います。
相手が油断しているところというのは、そういう感覚を少しでも取り戻した者で、努力をする者に対して、
自然が見せる一瞬のスキだと思います。美しいくもありなんとも言えない目に焼き付く光景だと思いますが、
それは狩る・狩られるという一連の感覚の中での、たった一つの場面を切り出したものだと思います。
本来はとてもそれだけを切り出して話ができないということは、N熊さんが書かれている通りと思います。
なぜ狩りをするのかというのは議論の尽きないテーマですが、ここはひとつN熊さんのレポートに戻って、
ありのままの体験の共有、ありがとうございます。
射撃のテクニックについてもいろいろ話したいことは尽きないのですが、また次回に!
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